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暑いですね。
初参加の方がいらっしゃったようです。 6月は次回の活動は、払沢の滝のお祭りに行く予定です。 こじんまりとしててなかなかいいですよー。 活動に参加して
笠原明彦 東京に単身赴任してきて3か月。ようやく生活にもリズムが生まれ、前々から気になっていた東京地区の森林ボランティア活動に参加する気になりました。仙台では8年ほど経験していました。 近くて、活動に遊びが無い会をネットで探していたら「遊学の道Project」に行き着いたわけです。事務局から参加歓迎のお言葉をいただいて意気揚々と参加しました。 先ずは、フィールドの遠さにめげそうになりました。正直、「ここまで来てやるかー」の思いです。しかし、近隣では対象とする様な森は存在しませんし、公園も都がこまめに手入れをしているようで荒廃していません。「そーなんだ、奥多摩なんだ」の思いです。 活動内容は想像どおりでしたが、参加者の人数は予想外でした。仙台では現在、小規模グループで活動していますので気になりませんが、少し意外でした。全国的に、森林ボランティア熱は冷めてきていると林野庁は分析しています。その代り活動内容が専門に特化して来ているようです。 私個人には全く問題ありません。整備を待っている森があればそれで十分です。 田中惣次さんの存在も大きく感じました。情熱も少し感じました。いろいろ吸収したい部分がたくさんありそうな人でした。 活動報告 活動日:平成19年6月9日(土)10(日) 活動場所:遊学の道 田中惣次さん所有林 参加者:田辺、石山、塩津、宮川、笠原(初参加) 活動内容:遊歩道草刈り。アジサイ植付け。 ![]() 報告 ■ 6月9日(土)天候:小雨時々曇り。作業内容:遊歩道草刈り。道具:草刈カマ、砥石。 馬場に12時半着。すでに塩津さんが先に到着していてエネルギー補給中であった。 私笠原は初めての参加なので要領を得ず、川の様子を窺っていると、さっそく塩津さんが川にかかる桟橋のいわれ等いろいろ説明してくださる。この間に田辺さん、石山さんは道具の準備、宿舎の準備をしていたようで、行動に無駄がない。 さて、着替えをすませさっそく本日の作業の歩道の草刈に出発。丸太橋のある道をたどる。 田辺さんから草刈カマの経験を尋ねられ、自信を持ってある旨答えたが、作業を開始してすぐに注意が入る。「カマは横に振らない、斜め上に向けて軽く引くように切る」横に振ると石が隠れていてカマの刃をすぐに欠いてしまうからだ。なるほど。 仙台では藪刈なので、思いっきりズサリと振らないと切れない。相手に応じて使い分ける。当然のことでした。 要領をつかんで刈り進めていると、また注意が入る。「刈った草を道に散らばさない」ウームそう言われればそうだが、この辺は美学の範疇か。指導に従う。 沢の流れのあるところでカマの刃とぎをする。田辺さんからカマをとぐ時の3点支持の利点を説明される。ここでも納得。また、やわらかい草を刈るので刃の状態を良くしておかないとすべって切れない。だから念入りにとぐ。 草刈り作業は、田辺、塩津、笠原の班と石山、宮川の2班に分かれて行い、草の伸びも少なかったので4時前には終了した。塩津さんはここで帰る。 さて、期待の夕食の準備が始まる。石山さんがせっせと進めるなかジャガイモの皮むきなどしてみる。今夜のメーンはカレー、酒のつまみは?と様子をうかがうがその気配全くなし。やがて静かに夕食が始まる。いきなりご飯だよ~。田辺さんが察して「ビールやりますか」と訪ねてくれる。渡りに舟でこの機会を逃してなるものか、「やりますやります」と声が上ずる。「自分も焼酎持ってきました」と、念の入れよう。 それでも皆さんあまり召し上がらない様なので、控え目にビールをすする。貴重な体験だ。これでは夜が長い。食事の後片付けを済ませ、持参の焼酎を少しづつすすりながらも、結構話は弾んだ。やはり志を同じくする者の集まりゆえか。 10時過ぎころ惣次さんが顔を出す。「林研の集まりがあって今帰った」とのこと、こちらは相当メートルが上がっていてひとしきり話して帰る。 ![]() ■ 6月10日(日)天候:曇り時々雨 作業内容:アジサイ植付 道具:鶴付き唐鍬 惣次さんが「アジサイの植付をする」と、張切って顔を出す。田辺さんは別の作業を考えておられたようだが、ここは惣次さんの勢いに負ける。遊学の森に新しく出来た林道沿いに植えるとのこと。宮川さんは所用があり、ここで帰る。 畑で育てたアジサイの苗をトラックに積み込み、現場に向かう。「遊学の森に車で乗り付けられるとは夢にも思わなかった」とは惣次さんの言葉。 今日は4人もいるので嬉しそうだ。前回は田辺さんと2人だったようだ。急傾斜でしかも雨で滑る斜面に足を必死に踏ん張り、アジサイを植えてゆく。惣次さんがあらかじめ用意した木片で植付の場所に刺して行く。さすが玄人、間隔がピタリと決まっている。我々では丁張りをしないとうまくゆかない。ここでも田辺さんから植付の事前注意を受ける。気配りが行き届いている。 1時間ほどで植付は終了した。作業終了を待っていたかのように雷雨が激しくなり、急ぎ帰る。惣次さんの言葉「昔は雷が鳴ると梅雨が明けると言ったのに、今年は梅雨の前に雷が鳴る」「雷の鳴る時間は昼から朝と、だんだん早まってきてるんだ」何気ない一言だが暮らしに根付いている。 石山さんは先に帰り、田辺さんとコテージでおにぎりをほうばる。田辺さん。「バスの時間まで3時間ほどあるが何をするか考えねば」ドキリとする。シャワーも浴びて着替えも済ませたのにこの上何をする気なのだろうか。「少し眠くなったので寝ます」と話しの方向を変える。田辺さんもほっとしたのか昼寝に付き合う。 それでもバス時間までたっぷりあるので、広場に積んであった丸太で、新しく購入したスチールのチエンソーの試し切りを始める。さすがに新品、よく切れる。 田辺さんとは、新宿までご一緒だったのでボランティア活動のことなど、いろいろ聞かせていただきました。 (文:笠原明彦) 遅くなりましたが、2007年の活動予定日を掲載いたしました。
4~6月の活動は代表不在のため、中止となる可能性もあります。 開催されるかどうかについては、こちらへお問い合わせください。 ymp_ymp@yahoo.co.jp
2007年4月14日
この時期山々の黄、緑、茶、赤、白と様々な色が足早に変化し、豊かな表情を見せる。やわらかく心を落ち着かせ、生の喜びを感じさせるとてもステキな景色だ。巷に溢れる多くのテレビ、ラジオ、チラシ、雑誌、ネット等の情報伝達より自分の目で見る山々の変化は心を動かし、励まし、元気をもらう。 前日の夜、石山さんから「塩津さん土曜日参加」のメールが届く。もし1人だったら、予報では天気は良くないようだから日曜日にしようかと思っていたが、塩津さんが来てくれるそうなのでよかった。 当日は晴れ、いつのものように五日市11:49のバスに乗り、田中家の前へ着くと、伊藤君が駐車場にいて、「惣次さんが、田辺さん遅いなぁ、とさっき話していた」という。会う約束もしていないし、変だなぁと思いながら中に入ると田中さんが出てこられたので、「今日は2人だから作業はやっても捗らないから、調査しようと思います」というと、「林道の下の方に行く道が出来てないからそこだけつくって」と頼まれ、「現場を見て何とかします」と応えた。まずはテントの下で昼食を取ることにした。しばらくして田中さんが来て、「今日はこれから親戚の見舞いに八王子へ行って、そのあと選挙の応援に福生に行かなければいけない」と言われた。相変わらず忙しいようだ。世間話をしていると、駐車場に見慣れない人が現れ、こちらに向かって来られた。東京新聞のカメラマンで「取材に来た」という。田中さんの取材だろう、僕には関係ないと思いながら3人で話していると塩津さんが現れ、「杉の樹皮で草木染めをしたいから、杉の樹皮を採りに来た」という。1人ずつテーブルに集まり増えていく。程なく東京新聞の女性記者が現れ、取材の目的を語る。「周りの人を巻き込んで、活動し活躍されている方を取材していて、今回田中惣次さんとそこで活動しているグループを取り上げたい」という。先週田中さんから「日曜日に東京新聞がYMPの取材に来たいと言ってきているが、YMPの参加人数が少ないと寂しいから断らなければなぁ」と言っていたが、よもや参加者2人で取材されるとは思っていなかった。様々な人が自分の思惑と違う展開に戸惑う。まあ、せっかく来られた東京新聞さんの取材に応えようというような空気になった。 急遽田中さんと引き立て役の我々2人、取材のカメラマン、記者の計5人で遊学の森に入り、工事完了したばかりの林道手前の作業現場に向かう。林道開設の為に伐倒された杉の残材である枝、葉の上に残土が被せられ、まるで土砂災害復旧工事の有様である。整備内容は林道整備のため崩されて通れなくなってしまった既設山道から林道へ上がる道づくり。先頭に田中さん、次に僕、塩津さんと並び、トンガで道をつくる作業を前方からカメラマンが撮影する。8mほどなのでわけなく出来るが、カメラマンの要求もあり進みはゆっくりだ。山道に路肩に石を並べ、土を踏み固め、4ヶ月ぶりに復旧。撮影が終わったかと思ったら記者の注文があり、今度は斜面上で作業しているところを下から取ることになった。ようやく撮影は終わり、田中さん、カメラマンは帰られる。取材は終わったと油断していたら、記者がなんと僕に取材に来た。どうしてこの活動をすることになったのか、田中さんをどう思うか、どうして山仕事をするようになったのかを聞かれた。その後、塩津さんに聞きに行かれ、取材が終わるとカタクリが近くで咲いているから見るよう勧める。塩津さんと3人でカタクリの路に行くとカタクリの花はほぼ終わり、結実していたが、1輪紫色の花を咲かせているのがあった。 記者も帰り、「じゃあ、予定の調査をするか」というと塩津さんは「体の具合が悪く熱もあるから、ここに来た目的の杉の樹皮を採ったら帰る」という。僕は、せっかく調査に来たのだからと皮むきを少し手伝ったのち塩津さんと別れ、山の中へ向かう。カタクリの路の近辺で植物の年間の変化をみるため、わかる植物の名前付けを行う。その後、お昼に田中さんに調査用の地図で「山の尾根にこぶの谷間があるが昔笹野から来る時そこを通っていた」と教わった場所を確認のため、カエデの横路から尾根に登った。知らない景色だった。雑木が放置され、暗いと想像していたが、尾根の向こうは杉の植林地で最近間伐してあった。道を外れた場所は知らないことばかりだ。帰りは山を林道から下りると前年度施工の路肩にシロツメグサが茂っていた。今回の工事で切り崩された山肌も播種されていたので同じようになるのだろう。(文:田辺康司) 2007年2月17日
今月は諸事情で3週目に活動。参加者(石山、田辺、塩津) コテージの先の竹やぶの脇から川へ下り、まずは流され岸に打ち上げられ竹いかだの様になっていた橋をかけ直す。暖冬とはいえ冷たい川を田辺さんズボンをまくり上げ、橋につないだロープを持って向こう岸へ。ロープを対岸で引っ張る田辺さん、女性2人は橋を川の中に押し入れる。3人掛かりでようやく橋を渡した後、ぐらつく橋に石を挟んだり、上に載せたりで安定させ、そのまま渡り、上部が傷みかけ弱くなっている梯子を慎重に登り、山に入る。山道には大きな石が所々ころがっている。上から落ちてきた石だ。アジサイ回廊に入った途端…山の景色が変わっている。12月に檜原街道近くの山裾に炭材を取りに行ったときブルドーザーが入って道づくりをしていたが、その道が、ぐぐっーと延びて慣れ親しんだ山の中まで食い込んでいた。幅4mの道路とその左右5m程の幅計14mにあった大木の杉が伐られ林道外の谷側へ横倒しに。あと2~3日もすれば道は沢を横切って延びていくだろうと思われた。 緑々した杉の葉に敷き詰められた斜面、倒された木が行く手を塞ぎ、数本の倒木を乗り越え登りようやく4m道路に出る。切断された山道のもう一端を探し見つけ上へ登る。 ![]() 今日の作業は昨年から取り組んでいる山道補修の続きで、ソロの奥路が現場。前回材を置いたが不安定だったところに杭打ち固定。だが岩が邪魔してなかなかうまくいかず。斜面にあった広葉樹の間伐材をつっかい棒にして何とか落ち着かせる。橋が架かっているカーブの所、上から落ちてくる湧水が下に流されやすいように土で埋まった橋の端を掘り、穴を作り水路を確保。 補修は12~13mも進んだかどうか! ![]() だいぶ日も延びたが4時近くに引き上げる。先日の春一番の強風のためか杉や檜の葉が道を塞いでいた。これで焚き火したいなぁと思いながらコテージへ。 途中、田辺さんの案内で民家の駐車場に積んであるモミを見学。直径1m前後で長さ4mの丸太は年輪を数えると80~120年生。この丸太は先週山からヘリコプターで運んだそうだ。20本位あるが、いくらぐらいになるのだろう。 コテージへ戻り解散。今回はみんな日曜日には用があって、泊まり無しの日帰り活動でした。 (文:塩津孝子) 2007年1月20日~21日
おのおのの会で檜原村神戸でイベントをした後、15時過ぎからの参加となった。コテージに着くと炭窯のところで女性が2人それぞれ窯に炭材を忙しそうに詰めていた。よく見ると石山さんと、数ヶ月前に参加されたことがある石山さんの同僚の根岸さんだった。その2人の後ろで、ちょうど来週のイベントの準備のため来られていた炭焼き研究家の草間さんが別の窯に炭材を詰めながら、2人にアドバイスを送っていられた。 程なく炭材が窯いっぱいに詰められ、蓋を閉じ、着火となるが、もう1人の参加者、麻帆ちゃんがまだ来ていないため、窯の中の状態を見せてあげてから着火ということで待つこととなった。実は麻帆ちゃんは先ほどのイベントに参加してもらったのだが、荷物を武蔵五日市駅に置いておいたそうで取りに行き、私はそのまま直行したのだった。辺りが暗くなり始める頃、麻帆ちゃん到着。のんびりしていると窯を閉じる時間が深夜となってしまうので、休む暇なく、窯の蓋を閉じ着火。 ![]() 窯口に燃料の薪を入れ、ひたすらうちわを使い、風を送る。30分ぐらいすると自然に風の流れが出来て、後は30分毎に燃料を窯口に入れていくこと。窯の面倒を見ている間、草間さんになかなか会う機会がないため、炭焼きのやり方、炭材、詰める土、炭の活用、煙、草間さんのイベントと気になったことをあれこれ聞き、帰宅時間を延ばしてしまい、申し訳なかったです。石山さんは夕飯づくりのためコテージに入り、3人で草間さんの教えで燃料をバンバン入れ燃やし、温度計で温度確認を繰り返す。 窯の薪燃料と一斗缶薪ストーブ焚きで暖を取り、作業の合間、仕事のこと、森のこと、将来のこと取り留めもなく話しする。普段話すことのない年齢も職業も違う人たちと火を囲み、時間を気にしないでのんびり好きなことを語り合えるのはYMPの魅力だ。 ![]() 暖冬のため夜も余り寒くはなく、冬という気がしない。昨年も1月に炭焼きして、薪ストーブを焚いたところ地面が濡らしたようになって驚き、それは地面の水分が凍っていたのが溶けたためであることがわかったが、地面が凍る氷点下の寒さだったのを思い出す。 80度から84度、90度と窯の温度が予定以上に上昇、温度計の計れる最高値200度を越えてしまった。どこかいつもと違う。でも手直しする術もわからないので、いつもの通り教えられたとおりに進めるしかない。少量の雪と雨が降ったり止んだりを繰り返す。ようやく煙が紫に近くなったので、蓋を開放し、ねらしをおこなう。1時間ぐらいしても煙は灰色がかって見える。このまま燃やせば灰になるかもしれない不安から、炭化終了とした。草間さんの注意事項として窯の蓋閉じるとき土を加えしっかり密閉することを言われていたのでそこだけをしっかり行って2時前に作業終了。不安と心配を抱き床につく。 ![]() 朝が来て、朝食を取りながら、窯が冷えるのを待つ。10時を過ぎ、窯を開けると炭がオレンジ色になって燃えている。失敗だ。灰になる前に急いで掻き出し、土をかぶせ、消火させる。出来たものは想像していた堅く詰まった1本ものではなく、砕いたような形で軽い炭だった。これまで5,6回やっているが、なんとなく、よく分からないまま、炭材を窯に突っ込んで燃やし、燃焼時間、温度と煙をそこそこ確認し、炭化が終わたような感じになったら蓋をしてお休みして、翌朝窯の中が冷えたら蓋を開け、炭材を取り出すことで、なんとかまあまあのものが出来ていた。今日も何とか出来るだろうと鷹をくくっていたが、甘かった。もうそろそろ、しっかり炭焼きをしてもいいものをしないから罰を与えるとでもいわれてるようだった。女性の前でいいカッコしたいと心が動き、慣れてるんだと乱雑に蓋閉め作業をしてしまった結果、窯と蓋の間に詰める土に隙間が出来て、空気が入った。単純な初歩的ミスだった。人から「大胆に体は動かしつつ、心は繊細でいるように」と言われるが、自分自身コントロール出来ない。動きが恐縮して縮こまるか、粗っぽくなるかのどちらかになってしまう。とにかく失敗から学んでいくしかない。 ![]() 「炭焼き作業は炭材集めるのが9割、あとの1割が炭材を窯に入れて作業でわけはない。とにかく炭材集めるのが一苦労だ」と草間さんは言う。でも炭焼きの度に窯や蓋、痛んでしまい、窯を塞ぐ土も焼く度に焼けて量が少なくなっていくことが気になる。大変迷惑をお掛けして申し訳ない。また、使わせていただき有難うございます。草間さんが炭焼きしていた別の窯を開けて見てよいということであったので、開けて見させてもらう。さすがに形よく綺麗によく焼けて堅い。 炭が十分にさめた後、土と炭をふるい分け、さらに形のよいものと砕けたものに仕分けして、持ち帰りたい分を各自が袋に詰める。持ち帰りは人数が少ないため少量で、余った炭は田中家で使うとのことでおいて置いた。 コテージを片付け、時間があったので林道開設現場に向かう。そこで開設のために伐られた55年生の切株に立つと谷側には伐倒され、玉切りされたまま無造作に重なり合っている。その下にアジサイの路が見えた。林道用地幅(12m位)から見ると遊学の森の路(1m位)は10分の1で枝ほどにも見えない。人力と重機の仕事量に愕然とし、これまでの時間と手間を思うと脱力感を起こす。この林道開設が良かったのか、悪かったのかは数十年後、利用者が判断を下すことだろう。山村経済と環境保全は今まで実感としてなく、よそごとと感じていたが、これを機会にテーマとして考えていかなければいけない。 (文:田辺康司)
2006年12月16日~17日
私は今年2月のMDRYDのイベントに参加したのがきっかけでそれ以来YMPの活動に時々顔を出すようになった。メンバーが代表を含めて若い人達ばかりなので、オジサンとしては陰ながら応援、オブザーバーに徹していたいのであるが、帰りに田辺氏を車に乗せたのが失敗であった。16,17の両日に渡って作業に従事したのは代表とアサちゃん(自称アサワン)と私の3人なのだが、代表はその責を免れているようである。となれば経験も豊富で立派な社会人であるアサちゃんにこそその役が回るべきはずのものが、田辺氏を乗せてしまったばっかりにこんなことになってしまった。アサちゃんを一緒に車に乗せるか田辺氏を置き去りにして麻帆ちゃんを拉致するかすればきっとこんなことにはならなかったろうに、完全に作戦失敗である。で、もう断りようがないので暫く我慢して私のレポートに付き合っていただきたい。 初日 お昼ちょっと前にコテージ到着。惣次さんが倉庫に出入りしているのを見かけ、挨拶に。しかしこちらが近づくと怪訝な顔をして「何の用ですか?」と訊かれたのには参った。 私も惣次さんに会うのは今年5回目になるのであるが、きっと今まで余程印象が薄かったのであろう。YMPの活動で来たことを告げる虚しさはこの上なかった。私が若い女の子であれば一度会っただけで顔から名前から電話番号まで覚えられてしまうであろうに。そして惣次さんの期待に応えられないことへの申し訳無さから思わず「スミマセン」という言葉が出てしまった。 気を取り直して荷物をコテージに運んでいるとやがて代表とアサちゃん到着。そして田辺氏到着。今日のメニューは下刈。こんな寒い時期に何でと思われるかもしれないが、来春カタクリの芽が良く出るようにという趣旨だそうだ。 着替えを終えて大ガマ研ぎ開始。この研ぎ方がどうもうまくいかない。悩みながら研いでいるとそれを見て余程気になったのであろう、田辺氏に同行の私よりもっとオジサンから「何か変な研ぎ方だな」そして構え方、砥石の持ち方を教えてくれた。実は5分程前に代表から教えてもらったばかり。それも教えてもらうのは今日で3回目なのになんて物覚えが悪いのだろう。「代表、恥をかかせてしまってスミマセン」 研ぎ終わったところでさあ出発。3人で山へ向かう。(田辺氏は調査と称し別行動)入山5回目ともなるとだんだん体で地形を覚えてきているのがわかる。前回来た時と明らかに違うのは鬱蒼とした緑が消え、紅葉も終わり、冬枯れのスッキリと見通しの良い山肌が奥の奥まで見渡せるところである。アサちゃんの歌声がこだまする。 木橋を渡り、アジサイの広路の緩い坂を登り、右にターンし、更に奥へ進もうとすると倒木が1本往く手を阻んでいる。代表の説明によると林道を入れるのに先立って伐採を行っているらしい。幸いにして枝払いをすれば跨いで通れそうだったので持参のノコで伐って先に進むことにした。 しかしこれがいけなかった。代表が伐り易いように枝を反らしてくれたのであるが、代表とうまく息が合わなかったのと、太目の枝を何本も伐るのにあまり時間をかけていられないと思ってあわててノコを引いたので、挟まれたのも気にせずに押した途端刃先が折れてしまったのである。 これは本当に痛かった。このノコはついこの間講習を受けた際に手に入れたばかりのものである。切れ味がいいので私の記念碑ともなるべき逸品であった。本当は手に入れた経緯を惣次さんに話して喜んで貰いたかったのであるが、それどころではなくなってしまった。 運が悪いことに後でコテージに戻ったら惣次さんが近くにノコが無いかと捜しに来た。他に無いので仕方なしに自分のを差し出したところ、「なんだこれは、勿体ねーな」の一言。だけど使えなくもなさそうなので手に取って暫くして戻ってきた。「これは良く切れるノコだな。だけど勿体ねーことしたな」誉められるどころか呆れられてしまった。ああ情けない!! やっとの思いで倒木を跨いで更に奥に向うと今度は何本も折り重なって倒れている。最早枝払いで通れるレベルの話ではない。道をはずれ、歩きやすい場所を選びながら上へ向かう。うーん、こんなことなら最初から枝なんか伐るんじゃなかった。 更に進むと林道の道筋が見えてきた。今度は左にターンして程なくケヤキに到着。この先が今日の作業場である。代表が区画を割り振っていざ開始。尾根までって言ってたみたいだけどあまり気にもせずに作業に没頭する。道刈りと違って斜面に入って刈るから体のバランスを取るのが結構大変である。地面すれすれに生えている青い草は目立つので何とかしたいのであるが、柔らかくて全然刃にかからない。葉の落ちた細い枯れ枝ぐらいしかかからないが、カタクリの芽が出やすいようになどと考えると、どうしても刃に触るものはどんなものでも刈りたくなる。とにかく切れているんだかいないんだかよく分らないが、大ガマを振り回していると結構疲れる。だけど休んでいると時間が勿体無いので力の続く限り振り回す。田辺さん、石っころに刃が当らないように刃先を上げて刈れって言ってたよな。だけど石にぶつけることを気にしていたらはかどらないので構わずにザクザク刈った。Tシャツ2枚重ね着して作業したんだけど汗びっしょり。これじゃ夏場と変わらないよ。 どのくらい時間が経ったであろうか上の道に到達する頃にはさすがに疲労困憊。更に上に進んでも尾根なんか遥か先だしこのまま続けても中途半端に終わりそうだったので代表にお伺いをたててみた。代表はもっと続けたかったようであるが結局は終了に同意してくれた。だけど次の日違うことをやるなんて知ってたらもっと頑張っていたかもしれないな。代表、我儘言ってどうもスミマセン。 帰りは工事中の林道を通る。向うの方でユンボウが動いているが、そこに至るまでは土を掘り起こしただけの急斜面だ。地面が柔らかいのでなんとか踏みしめながら通り抜けることができた。途中大径の杉桧がゴロゴロ転がっていたが、ついこの間講習会場(集材場に隣接)で見た材とはまるで違う。まん丸でスッと真直ぐに伸びた良材ばかりだ。人々は木が伐られるのを見てなんと惨い愚かなことをするのかと思うであろう。しかし材を出した後は再び苗を植えて手をかけ大事に育て、以前にも優るとも劣らぬ立派な山林を作り上げればいいのである。農業はどうか知らないが、造園とか造林は50年後とか100年後の姿を見越して施業するのではないか。だから裸の山を見てため息をつくのは間違いなのかもしれない。これから魅力のある山づくりを我々の手で行っていけばいいのだ。 で、そういう意味で言うとこの林道は山の風景を阻害しないか。生態系に影響しないか。山の作業を効率的に行うためにはどうしても必要なのであろうが、巾4m、長さがたった800m程度の構築物であってもその存在を主張するのではなく、魅力ある山づくりに一役買って欲しいものである。しかしユンボウが動いているすぐ谷側にごっついガードレールが設置されているのを見ると、どうもありきたりな今風の山道しか出来なさそうである。どうせ殆どプライベートな使用目的なのだから惣次さんに計画してもらった方が余程面白いものが出来るんじゃないかな。 コテージに戻り、後片付けをし、食事の用意。いつの間にか田辺氏も戻ってきて当たり前のようにカレーにとりかかる。代表は明日の昼食のツマにと言って白菜の塩揉みを始める。そして奥さんから御新香の差し入れが。ひととおり準備が完了し、後はご飯が炊けるのを待つだけという段階になったので、さあそれではビールでもと思ったら田辺氏のGOが出ない。え、この虚ろな時間の空間をどうやって過ごせっていうの?食事が始まるまで待てということのようであるが、それでは差し入れのお新香をつまむのは良くて何でビールはいけないの?それでも我慢してご飯が炊けるのを待っていたが、いくら待っても炊けた様子がない。炊飯器のセッティングが悪くてもう一度最初から炊き直しだ。 さてやっと炊き上がっていざ乾杯!!と思いきや、誰もビールに手を伸ばそうとしない。ビールじゃなくて酒なのかと思ったら、田辺氏もアサちゃんも飲まないのだそうだ。「私少しだったら付き合いますけど」とかろうじて代表が。カタジケナイが女の子に勧めるわけにもいかず、一人で勝手に飲むことにした。あれ、今日は囲炉裏で忘年会じゃなかったの?だめだこりゃあ! だけど代表がえのきともやしの炒め物を作ってくれたのだがこれがビールに合って実に美味であった。我感謝感激的多謝!! だんだん時間も経って夜も8:30を回る頃、麻帆ちゃん合流。麻帆ちゃんは期待の新星である。有明のエコプロダクツを見てきた帰りだという。高校生だというのに林業に関心を持ったり環境問題について考えてみたり本当に偉いと思う。オジサンなんか高校の時はなあ…まあいいか。この時点でオジサン結構いい気分になっていたのであるが、さすがに高校生に酒を勧めるわけにはいかない。虚しく一人で飲み続けたが、若い高校生の目には酔っ払いのオジサンはどんな風に映ったのであろうか。 そうこうしているうちに惣次さんが現れ、酒を置いていってくれた。明日は葬式で朝から出掛けるそうである。田辺氏とアサちゃんは早々と2階へ。そして残った3人で夜中の2時位まで話をしていたようなのだが、1時を回る頃には全く記憶が無くなっていた。女の子相手に悪さしてないだろうな。ちょっと気になる。 2日目 田辺氏に叩き起こされて目が覚める。あれ、いつの間にか2階に上がって布団に入っている。どうしたんだこりゃあ。聞けばもう食事が始まるとのこと。大慌てで階段を降り、顔を洗う。真瀬氏が既に到着してスタンバっている。笛を聞かせたくてしようがないようだ。代表も麻帆ちゃんも何事もなかったかのようである。無事で良かった。だけど山井さん酒臭いだとか、夜中いびきが凄かっただとか言われてしまった。皆さん迷惑かけてすみませんでした。これからは一人炬燵の中で寝るようにします。 食事が終わった頃にCO2(塩津)さん登場。これでメンバーが揃った。私はコテージに泊まった翌日は必ず二日酔いでダウンするのであるがCO2さんはとにかくパワフルで何もしなくてもどんどん仕事がはかどる。自分が何もしなくても仕事をやった気にさせてくれる凄い人である。 今日のメニューは炭焼きの準備。あれ、下刈りはもういいの?まずいなそれ、昨日の続きはどうしようと思いつつ言われたとおりに道具を用意し、ユンボウが動いていたあたりに材料の調達に行く。炭焼きの材料としては広葉樹が適しているのだそうだが、遊学の森ではなかなか手に入れるのは困難である。そこで林道整備のために伐採した広葉樹を失敬することにしたのだ。昨日変な道を通って帰るなあと思っていたら親分、あたりを物色していたんですね。黙っているなんて人が悪いですぜ、親分。 さて崖に無造作に捨ててある材を15~6本拾い集める。そして材の端を楔付きのロープに括り付け、ロープを肩に担いで2本ずつ引きずりながら運ぶ。古式ゆかしい運び方だ。舶来の集材車もウインチで材の片側を吊ってもう片側は地面を引きずって運ぶ方式をとっているのだが、人間考えることは同じなのだなと思う。しかし一人で2本ずつ運ぶというのではいかにも効率が悪過ぎる。もっとまとめて一気に運ぶ方法はないものか。幸い坂を下る途中、現場事務所の脇で1台のネコをゲット。何本か乗せて得意になって運んでいたら親分に見つかってしまった。親分、ワルやるんだったらワルに徹しなければイケマセンぜ、親分。 材をコテージに運び終えたら、次は薪作り。出ている枝を鉈で削ぎ落とし、材の真直ぐな部分を選んで30cmの長さに伐り揃える。形が不揃いだと窯の中で無駄な空間ができていい炭ができないのだそうである。ところで今回調達した材の樹種はわからないが2種類あって片方の白い方は組織が緻密で切断面がまるで擬木のようである。断面が卵形なのであるが、よく見ると面白いことに最初の15年位は年輪がまん丸で徐々に形が変化している。材の特質なのかそれとも環境の変化があったのか。この玉切り作業は以外とてこずった。私も自慢?のノコを取り出して伐ったのであるが杉桧を伐るのとはわけが違ってとにかく堅い。結局全部伐りきらないままお昼に突入。CO2さんと代表の男談義が始まる。確信を持って語る2人の会話には敢えて首を突っ込まずにおく。そんなことよりも眠くて眠くて少しでも暇を見つけては横になる。 午後は残った材を伐り終え、鉈で四つ割にして井桁に積み上げ自然乾燥させる。これだけの作業で帰る時間になってしまった。後片付けをし、コテージの掃除を終えて2台のスバル車に分乗。 五日市駅でなんと葬式帰りの惣次さんに遭遇。最後に挨拶することが出来て良かった。 今回の活動を振り返ってみると、自分の体力的な問題とか技能の未熟さとかはあるのだけれども月にたった1度しかない作業なのだから限りある時間をもっと有効に使う方法を考えなければいけないのだと思います。例えば技能の伝承は大切なことなのだけれども、材運びなど昔の方法にこだわらずに惣次さんのトラックをちょっと拝借すれば30分もかからずに済んだんじゃないかな。そして空いた時間でもっといろんなことができたはずなんだ。森林の整備だとか環境の保全だとか目指していても、作業能力が低ければ結局自分のところで処理し切れなくてよそを頼らざるを得なくなるのだから、その辺もう少し考えていけばもっと活動が活発になるのではないかと思います。 だけどいつも思うけど代表も大変ですよね。是非とも頑張ってください!! ----- オブザーバーより ----- (文:山井浩二)
11月の活動報告を掲載しました。一日目は全員女子の活動となりました。
二日目はアジサイの植え替えをしています。林道が入るので。
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